2017年11月22日水曜日

「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という言葉

ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」に、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という言葉がある。今回は、それについて少し考えてみたい。

まず、私が気にかかるのは、この言葉は、「あるものはあるべくしてある」という言葉の特殊な形になっているということである。だから、「あるものはあるべくしてある」という言葉が正しければ、この言葉は正しい。逆は真ではない。このことが、「論理哲学論考」の不思議な読後感の原因の一つになっているように思う。

もう一つ、この言葉の絶妙さは、この言葉は「論理哲学論考」の最後の言葉であるので、この言葉の後に、空白が続くということである。だから、そのことによって沈黙が示されている。

実際のところ、「語りえぬもの」とは何であったのかというと、安易なようではあるが、それは「神」のことであったのではないかと思う。「神」のことは、その当時のヴィトゲンシュタインにとって、そしておそらく、その後のヴィトゲンシュタインにとっても、「語りえぬもの」であったのではないだろうか。

私は、「神」のことは語りえることであるように思う。ヴィトゲンシュタインにとって、「語る」ということは、すごく完全性の高い、厳しいことであったのではないかと思う。それは、「語る」ということの捉え方の差異であって、本質的な差異ではないように思う。