2017年11月3日金曜日

魂と理性

魂と理性は本質的に同じものであるのではないかと昨日の記事に書いた。少し調べてみたけれども、そのようなことを主張している過去の哲学者はいないようである。だから、このことについて、もう少し考えてみたいと思う。

魂と対比されるのは肉体であるけれども、理性と対比されるのは何であろうか。これはむずかしい問題ではある。本能や感情や情動であろうか。一言で示すのは、よりむずかしい問題であるように思う。ここでは、一言で示すという問題は保留にしておきたい。とにかく、そのようなものであるということにしておく。

魂と理性が本質的に同じものであるということは、肉体は本能や感情や情動と本質的に同じものであるということである。私には、そのようなことは、本当のことであるように思える。プラトン、ソクラテスの言う通り、魂が肉体に汚されることがあるように、理性が本能や感情や情動に汚されることがあるように思う。どちらも、そのような状態から、浄めるということが大切なことであるように思う。

プラトン、ソクラテスの言う通り、神のもとに到達するのは、哲学によって浄められた魂であるのであれば、それは、本能や感情や情動から浄められた理性であるということになるように思う。それは、名前を付け替えられただけのことのようにも思えるが、本当のことであるように思う。

このように、魂と理性には類似性があるように思う。このことは、魂と理性が本質的に同じものであるということが、起因しているように思う。少し強引に過ぎる結論のようにも思うが、そのように思う。