2017年11月7日火曜日

神経細胞の配線長と心

昨日、心の内で近いと感じられるものは、近くの神経細胞によって表現されているかもしれないということを書いた。後で少し考えてみたのだが、このことについては、もう一つの仮説もあり得るかもしれない。それは、神経細胞の配線長が短くなるように、神経細胞が配置されているという仮説である。神経細胞の配線長が短くなると良いという理由は、信号の遅延が小さくなるということと、エネルギー効率が良くなるということの二つが挙げられるであろう。

ここで気に掛かるのは、視覚や聴覚などの情報を処理する脳の領野は先天的に形成されるのか、後天的に形成されるのかということである。私は、脳のほとんどの部分は先天的に形成されるように思っているのではあるが、ウェブで調べてみたところ、子猫に縦縞模様のみを見せて育てるという実験があり、このように育てられた猫は横縞模様の見えない猫に育つそうである。だから、神経細胞の接続は、ある程度は、後天的なものであるということであろう。どの程度、先天的か、後天的かという具体的な問題は、私には解らない。このことは大事なことではあるが、胎児の段階での成長を先天的なものに含めるか、後天的なものに含めるかという問題もある。私は、それを先天的なものに含めて考えている。

どちらにしても、神経細胞は、効率的に配線するように、総配線長が短くなるように成長し、心の内で近いと感じられることは、近くの神経細胞によって表現されるようになるという仮説はあり得ることだと考えられるように思う。しかし、これでは、視野の右上にある部分が、なぜ視野の左下になくて、視野の右上にあるのかということは、解らないように思う。なんらかの意味で、最善なのであろうとは思うのだが。

例えば、身体の後方を見る第三の目があって、その視界が視野の左上のウィンドウの中に表示されるということはあり得ることであろうか。こうなると、とても機械的であろう。どこにそのウィンドウがあれば最善であるのかも、よく解らない。このような生物がいるとして、どのような視覚を獲得していると考えられるのであろうか。あるいは、見えるとしたら、端的に言って、ただ見えるのであろうか。われわれには、想像できないことであるとしても。