2018年1月6日土曜日

アリストテレス著「ニコマコス倫理学」 34

アリストテレス著「ニコマコス倫理学」を読み進めている。下巻の170ページ程度まで、読み進めた。

アリストテレスは、「善い」には二つの意味があると言う。

「「善い」は二つの意味で(つまり、限定ぬきに善いという意味と、関与するなんらかの人やものにとって善いという意味の両方で)語られる。そしてもろもろの自然と性向についても、この二義性が成り立つ。したがって、もろもろの運動と生成もこれに伴って二つの意味があり、「劣悪」と思われる快楽には、限定ぬきに劣悪ではあるが、或るだれかにとってはそうではなく、その人にはむしろ望ましいと思えるものもある。また、特定のだれかにとってさえ望ましいというわけではなく、或る特定の短期間望ましいだけであって、限定ぬきには望ましくないものもある」

次に、「善いもの」について次のように語る。

「「善いもの」のひとつは現実に起こる活動であり、もうひとつは性向であるので、自然的性向へと回復してゆく過程が快いことは、付帯的なことである。そして、回復を目指す欲望のもとで起こる活動は、まだ無事に残っている成功と自然本性が担う活動なのである。というのも、たとえば観想という活動がそうであるように、自然本性が欠けていない場合には、苦痛と欲望が伴わないような快楽もあるからである」

そして、終局について次のように語る。

「或る人々が言うように生成過程より終局が善いものであるとしても、それと同じように快楽よりも善い別の何かがあるということには、必ずしもならないのである。なぜなら、すべての快楽が生成過程であるわけでもないし、すべての快楽が生成過程とともにあるというわけでもなく、むしろ快楽は、活動であり、そして終局だからである」