2018年1月12日金曜日

アリストテレス著「ニコマコス倫理学」 39

アリストテレス著「ニコマコス倫理学」を読み進めている。下巻の220ページ程度まで、読み進めた。

アリストテレスは、性向と活動ゆえに善き人と語られるが、愛も同様であると言う。

「徳の場合に、或る人々は性向のゆえに「善き人」と語られ、また別の人々は活動のゆえに「善き人」と語られる。これは愛の場合も同様である。なぜなら、ともに生きている人々は互いに対して実際に喜びを感じ、互いに対して実際に善いものを提供するのに対し、眠っている人々や場所が離れている人同士は、そのような現実の活動を行なっているわけではないにせよ、友人としての活動をいつでもするような性向にはあるからである」

そして、愛情は感情に似たものであり、愛は性向に似たものであると言う。

「愛情は感情に似たものであり、愛は性向に似たものである。なぜなら愛情は生物に劣らず無生物にも向かうが、人々が「愛し返す」のは選択を伴うことであり、選択は性向に由来しているからである。また人々は、愛される相手にとっての善を当の相手のために願うのだが、このことは感情によることではなく、性向によることである」

そして、利益と快楽など或るものと別のものを交換する愛は劣っていると言う。

「この後者の愛は愛として劣っており、あまり長くは持続しないということはすでに語られた。そして、それだけでなく、「徳に基づく愛という」同じものとの類似性と非類似性によりこれらはまた、「愛である」とともに「愛ではない」とも思われるのである。なぜなら、第一に、徳に基づく愛との類似性によってこれらは「愛である」と思われるが(一方は快楽をもち、他方は有用さをもっており、こういった要素は徳に基づく愛のほうにもそなわっているものだからである)、しかし第二に、徳に基づく愛は誹謗中傷と無縁であり安定した持続性をもつのに対し、これらの「愛」のほうは、すばやく変転することにとくにみられるように、多くの点で徳に基づく愛と異なっているがゆえに、こうした非類似によっては「愛でない」ように思えるからである。